鐘ヶ江管一とは? わかりやすく解説

鐘ヶ江管一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/30 14:00 UTC 版)

鐘ヶ江 管一(かねがえ かんいち、1931年昭和6年)1月22日[1] - 2025年令和7年)8月22日)は、日本政治家実業家。元島原市長(3期)。長崎県島原市出身。

略歴

旧制島原中学(現在の長崎県立島原高等学校)に進学したが、学制改革の際に中退。家業の旅館「国光屋」の経営に携わった。国光屋は西鉄ライオンズ、太平洋クラブライオンズ、クラウンライターライオンズ(現在の埼玉西武ライオンズ)の島原キャンプの定宿としても使用されており、仰木彬稲尾和久豊田泰光とは晩年まで交流があり、中西太など当時のライオンズの選手との親交は現在に至って続いている。[要出典]

1980年12月には島原市長に当選、以後1992年12月までの3期12年務めた[2]1991年雲仙普賢岳の噴火・土石流の発生の際は自ら災害救助活動や国への陳情に奔走し[2][3]、その姿はマスコミにも大きく取り上げられ「ヒゲの市長」として一躍有名となった[2][3]。ヒゲは火山の沈静化を願う願掛けで伸ばし始めたものである[2]。なお、ヒゲは市長退任直後の1992年12月に剃り落としている[4]

市長退任後は普賢岳噴火の際の体験を生かし、全国で講演活動を行っていた[3]2001年には勲四等瑞宝章を受章[2]2002年からは雲仙岳災害記念館の名誉館長を勤めていた。2021年、島原半島文化賞を受賞した[5]

2025年8月22日、肺炎のため島原市内の病院で死去[6][7]。94歳没。死没日付をもって従五位に叙された[8]

著書

  • 仰木彬 共著『勝つということ―対談・熱球交友録』1997年3月。ISBN 4-08-781144-1 
  • 『普賢、鳴りやまず―ヒゲ市長の防災実記763日』集英社、1997年7月。 ISBN 4-08-748651-6 

脚注

  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、411頁。
  2. ^ a b c d e 朝日新聞デジタル:普賢岳噴火、対応に奔走 - 長崎 - 地域”. www.asahi.com. 朝日新聞社. 2022年4月18日閲覧。
  3. ^ a b c 「長いようで短い30年」 当時の島原市長鐘ケ江さん―雲仙・普賢岳大火砕流:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2022年4月18日閲覧。
  4. ^ 【平成の長崎】ひげにサヨナラ 1年半ぶりそり落とす 鐘ケ江前島原市長 平成4(1992)年”. 長崎新聞. 2022年5月19日閲覧。
  5. ^ 鐘ケ江元島原市長、太田名誉教授らに島原半島文化賞:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2022年4月18日閲覧。
  6. ^ 長崎・島原の元市長、鐘ケ江管一さん死去 雲仙・普賢岳噴火時に指揮”. 朝日新聞 (2025年8月22日). 2025年8月22日閲覧。
  7. ^ 鐘ケ江管一さん死去、94歳 元島原市長、大火砕流に対応:時事ドットコム”. 時事ドットコム (2025年8月23日). 2025年8月29日閲覧。
  8. ^ 『官報』第1558号9頁 令和7年9月30日

関連項目





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「鐘ヶ江管一」の関連用語

鐘ヶ江管一のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



鐘ヶ江管一のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの鐘ヶ江管一 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS