大政翼賛会において国策広告に関与する
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 20:47 UTC 版)
「花森安治」の記事における「大政翼賛会において国策広告に関与する」の解説
除隊後の1941年に、帝国大学新聞時代の先輩から誘われて大政翼賛会の外郭団体に籍を置くことになり、敗戦まで国策広告に携わった。例えば、1941年に実施された「翼賛選挙」のポスターを企画したり、1942年には戦意高揚のために「進め、一億火の玉だ!」、「屠れ!米英我らの敵だ」といったスローガンを選定したりした。 ちなみに、当時の代表的なキャッチコピー「欲しがりません 勝つまでは」は花森が「考案」したものとしばしば言われるが、これは事実ではない。大政翼賛会・読売新聞社・東京日日新聞社・朝日新聞社による「国民決意の標語」の募集に、東京在住の男性が小学生の娘の名前で応募した作品を花森が選定・採用したものである。この点に関して、戦後、花森は『暮しの手帖』で「男はいいわけをするな」と書き、一切の弁明をしなかった。なお、他に、「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」といったスローガンも花森が選定している。
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