大敗と結束の弛緩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/15 09:13 UTC 版)
1761年1月14日、南下してきたアフガン勢力(ドゥッラーニー朝)のムスリム同盟軍に第三次パーニーパトの戦いで大敗し、数万の犠牲者を出したことにより衰退に向かう。バーラージー・バージー・ラーオの治世末のことであった。 バーラージー・バージー・ラーオの死後、マラーター王国の宰相府は統率力を失い、同盟の結束は緩んだ。これ以降、同盟の有力な諸侯であるナーグプルのボーンスレー家、インドールのホールカル家、グワーリヤルのシンディア家、ヴァドーダラーのガーイクワード家が分立した。 だが、宰相マーダヴ・ラーオの奮闘もあり、同盟はなんとか勢力を保つことができた。彼は北方ではアフガン勢力を討ち、南方ではムスリム軍人ハイダル・アリーのもとで台頭するマイソール王国を抑えた。
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