大政翼賛会批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 06:47 UTC 版)
大政翼賛会の批判をした論文には次がある。 桐生悠々「一国一党は独裁政治の始」(『他山の石』1938年11月5日)「一国一党は独裁政治の始まりと言うよりも、むしろ一国一党そのものが独裁政治であることは、ソビエト・ロシア、イタリア、ドイツを見れば、明らかである」。「一国に少なくとも二個の政党があってこそ、そこに初めて一国の国情を如実に議会の上に反射し得るのである」。 桐生悠々「一国一党の利弊」(1940年7月5日)「拙速を尊ぶ点においては持って来いであるけれども、巧遅を選ぶ場合には、往々にして失敗する危険がある」。「この弊害を矯めるには、選挙法を改正しなければならない」。「まず国民を再教育せよ」。 石橋湛山「議会制度の効用」(『東洋経済新報』1940年11月30日)政党なき議会は「いわば雑然たる群衆を一堂に集めた」だけで、「無意味の会合」か、「始末の悪い紛然たる討論場」になってしまう。
※この「大政翼賛会批判」の解説は、「ファシズム批判」の解説の一部です。
「大政翼賛会批判」を含む「ファシズム批判」の記事については、「ファシズム批判」の概要を参照ください。
- 大政翼賛会批判のページへのリンク