大成版謡本刊行
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晩年、左近が自らの一世一代の仕事として取り組んだのが、「観世流大成版謡本」の刊行である。当時家元の承認を得ない謡本が多く刊行されており、特に丸岡桂企画の刊行会本(改訂謡本)を巡っては先代清廉の代に訴訟となるなど(宗家側敗訴)、懸案事項となっていた。1920年(大正9年)には宗家と提携する檜書店から「大正改版観世宗家正本」、1931年(昭和6年)からはそれを改訂した「観世流謡曲正本」を刊行していたが、完成度の高い刊行会本の人気は高く、なお後れを取る状況だった。 「観世流大成版謡本」は流派に復帰した観世銕之丞、梅若万三郎の協力を得て、差異の生じていた観世流の謡を統一しようという目標を掲げ、野々村戒三・野上豊一郎・能勢朝次といった能楽研究者、また三宅襄・小林静雄・松野奏風などの参加を求めた。字句の変更を最小限度に留めようと提案した野々村に対し、左近は誤謬と思われる箇所については思い切って直すよう方針を示し、野々村を驚かせた。 こうして刊行された「大成版謡本」は、その充実した内容で宗家本の地位を確立するに至った。刊行が始まった時には既に左近は他界していたものの、「家元としての最後の仕事」と言われるように深く関与した仕事であった。
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