大名府故城とは? わかりやすく解説

大名府故城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/31 02:18 UTC 版)

大名県」の記事における「大名府故城」の解説

大名市街北東郊外にある大街郷にはいまもかつての大名府遺跡が残る。宋の仁宗治世である慶暦二年(1042年)、大名府は「北京」として、「東京」開封府現在の開封市)の陪都となったこの後宰相呂夷簡により大名府拡大され宮城をそなえる大都市となった。しかし北宋以後大名府はしだいに衰落の道をたどり、明朝洪武三十四年(1401年)、漳河衛河洪水浸かり放棄された。同年家口大名府移転再建された。これが現在の大名市街である。廃墟となった宋代の大名府故城には、宮殿基壇官庁街住宅街町割りがよく残っており、2006年中国国務院によって全国重点文物保護単位指定された。 大名府建築規模広壮であり、四つ殿閣十四座の城門二つ関があった。外城は「京城」といい、外周四十八里二百有六歩の長さで、九座の城門があった。宮城あるいは内皇城は、外周長さ三里一百九十八歩で、五個の城門があった。

※この「大名府故城」の解説は、「大名県」の解説の一部です。
「大名府故城」を含む「大名県」の記事については、「大名県」の概要を参照ください。

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