呂夷簡とは? わかりやすく解説

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呂夷簡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/09 04:03 UTC 版)

呂 夷簡(りょ いかん、太平興国4年(979年)- 慶暦4年9月10日1044年10月3日))は、北宋宰相坦父は文靖。呂蒙亨(呂蒙正の叔父の呂亀祥の子)の子。呂公綽・呂公弼・呂公著・呂公孺らの父。


  1. ^ 誕生時、父帝の許可で仁宗は実母の李氏(李宸妃)から奪われ、劉氏(章献明粛皇后)の子とされた。明道元年に皇太后劉氏が崩じた後に仁宗は真相を知った。呂夷簡に相談し、劉太后に迎合した張耆らをすべて罷免したいと言った。しかし郭皇后が「夷簡独不附太后邪?但多機巧、善応変耳」と言ったため、呂夷簡も一度罷免された。それ以後、呂夷簡は郭皇后を憎むようになった。
  2. ^ 王船山『宋朝史論』平凡社、1931年、P.198頁。 


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