夢青し蝶肋間にひそみゐき
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春 |
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評 言 |
豊かな情感を湛えた青年が、噴火するその時を夢見て、エナジーを必死に押し留めている様子。しかしその圧力は押え難く、少しでも油断するとあらぬ方向に飛び出して行ってしまいそうだ。むずむずする快感と不安、期待と開き直り、矜持と慙愧とがないまぜになって、殆ど制御不能に陥っている。 一方で、その心の振幅を愉しむ余裕も感じられる。夢はまだまだ青く、じっくりと熟成させなければならないし、蝶もまた羽化の過程かも知れない。まだ人目に晒すには早いのだ。 喜多青子(せいし)は明治42年神戸に生れ、十代から俳句に親しんだ。昭和8年俳誌「ひよどり」を創刊するも、10年1月には日野草城が創刊した「旗艦」に、「走馬燈」「青嶺」と共に合体している。しかしその年の11月、可能性を秘めた才能を十全に開花させることなく、27歳で夭折した。翌昭和11年、遺句集『噴水』がまとめられている。 掲句は昭和10年の作で、従って最晩年の俳句ということになる。名前の青子にも通じるのかも知れないが、「夢青し」などと正面突破を図るところは、気恥ずかしくなるくらいに清々しい。しかし、近代精神を育んだ大正デモクラシーや新興俳句運動の息吹を浴びてきたとは言え、「肋間にひそむ蝶」という斬新な表現はどこから湧出してきたのだろうか。戦火の舌端が忍び寄る中で、自身の死の影を読みとっているというのも気が進まない。やはり冒頭に述べたような、現代の青年の屈託にも通底する心象の一形態と読むべきなのだろう。 また、時代の切っ先でもあった神戸の風土がここに沁み込んでいることも、確かなようだ。 |
評 者 |
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備 考 |
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