夜想曲の標題性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/04 16:25 UTC 版)
「夜想曲 (フォーレ)」の記事における「夜想曲の標題性」の解説
フォーレは、自作のピアノ曲に具体的な標題を付けることを避けており、ロマン派時代のピアニストたちが使用してきた名称を好んで用いた。これについて、フォーレの次男のフィリップは、「父は夜想曲、即興曲、舟歌、あるいは単に『ピアノのための小品第何番』といったタイトルを付けるのが大好きでした……。」と述べている。また夜想曲について、フィリップは「13のピアノ曲に『夜想曲』と名づけたが、必ずしもこれらには夢や心象風景が描かれているわけではない。抒情的で情熱的な曲が多いが、時には苦悩に満ちたものや、ノエミ・ラロの思い出に捧げられた第11番のように純粋にエレジー風のものも存在する。」と述べている。したがって、フォーレにとって標題とは、ロマンティックな名前が大衆受けすると考える出版社を満足させるための便宜的なものだった。たとえば、夜想曲第6番について、どこの素晴らしい景色を前にしてこの曲の中心主題を思い浮かべたのかという質問に、フォーレは「サンプロンのトンネルの中で」と気まぐれに答えている。 なお、フランスの哲学者ウラジミール・ジャンケレヴィッチは、その著書の中でフォーレの音楽がもたらす夜のイメージについて考察しており、拡張された自我や宇宙との共感というよりも、むしろすべてを捨象して瞑想にふけろうとする魂の沈潜であるとして、古代ギリシアの哲学者プロティノスの言葉「虚飾を捨てよ」を挙げている。また、フォーレの夜とは逆説的なもので、闇ではなく色彩豊かな多元主義的傾向であり、「闇に飛翔する沈黙の羽音」に耳を傾けること、あるいは「しなやかな正確さ」から単純さと平安が生み出されてくると述べている。
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