外来種の導入と国際戦略の失敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/26 15:17 UTC 版)
「ナバーラ (DO)」の記事における「外来種の導入と国際戦略の失敗」の解説
フランコ体制末期以降には国内外でワイン市場が拡大し、ナバーラ地方ではリオハ地方同様の良質なワイン作りが模索された。1970年代までには近代的な生産設備が導入され、土着種のテンプラニーリョ種への植え替えが進んでいたが、ナバーラ地方でのテンプラニーリョ種のワインの質は低かった。リオハ (DOC)はテンプラニーリョ種の高品質化を追求したが、ナバーラでは国際品種に目を向け、1973年にはメルロー種、カベルネ・ソーヴィニヨン種、シャルドネ種などのフランス品種が認可された。 1981年にはオリテにナバーラ州立ブドウ栽培・ワイン醸造研究所が設立され、土壌・気象条件・品種・ブドウ栽培・ワイン醸造・樽熟成に関する研究を行っている。州立研究所の成果のひとつに、当時は困難とされていた樽熟成を行わないシャルドネ種産ワインの生産成功などが挙げられ、このナバーラ地方独特の若い白ワインは国際的なワインコンクールで高く評価されている。1980年代には民間のワイナリーや協同組合が高品質ワインのボトリングやラベリングを開始した。1980年代から1990年代にかけて、イギリスのワイン専門誌はナバーラの外来種産ワインを称賛した。しかし、外来種を導入したことでオーストラリアワインやチリワインとの競争にさらされ、国内ではリオハの廉価版というイメージが付きまとった。
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