塔の中での後半生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 01:51 UTC 版)
「フリードリヒ・ヘルダーリン」の記事における「塔の中での後半生」の解説
1805年2月、ヘルダーリンを支えていた友人ジンクライルがヴュルテンベルク選帝侯フリードリヒ1世暗殺計画に加担した疑いで逮捕される。ヘルダーリンにも捜査が及んだが、精神鑑定の末狂気を理由に逮捕を免れた。7月にジンクライルの無実が明らかになるが、このときヘルダーリンは「自分はジャコバン派なんかじゃない」と何度も絶叫していたという。 1806年の夏ごろにはヘルダーリンの異常な言動が目立つようになり、ジンクライルによってテュービンゲン大学医学部精神科へ診療のため連れて行かれた。8か月の入院ののち、回復の見込みなしと診断されて自宅療養を言い渡され、ヘルダーリンはテュービンゲンの家具職人で『ヒュペーリオン』の熱心な読者であったエルンスト・フリードリヒ・ツィンマーに引き取られた。彼の部屋はツィンマー家の川に面した側で、半円形に突き出た塔の中にあり、折々詩作を行いながらその後の生涯をこの塔の中で過ごした。この塔は現在「ヘルダーリン塔(ドイツ語版)」として知られている。 1822年よりヘルダーリンのもとにヴィルヘルム・ヴァイブリンガー(ドイツ語版)やエドゥアルト・メーリケらが訪れている。特にヴァイブリンガーは彼と気が合い、ともに連れ立ってエスターベルク丘へ散歩に出かけるなどしている。ヴァイブリンガーは1823年にヘルダーリンを主人公とした小説『フェアトーン』を発表しており、死の翌年の1831年にはヘルダーリンの評伝が刊行されている。 ヘルダーリンは1843年、胸水腫のため、ヘルダーリンの塔の自室で没した。
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