堀井雅廣とは? わかりやすく解説

堀井雅広

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/06 23:25 UTC 版)

堀井雅広
基本情報
国籍 日本
出身地 京都府京都市伏見区
生年月日 (1951-12-04) 1951年12月4日(73歳)
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会 (JRA)
所属厩舎 美浦宮沢今朝太郎(1973.3 - 1985.2)
美浦・清水美波(1985.3 - 1988.2)
美浦・フリー(1988.3 - 引退)
初免許年 1973年3月1日
免許区分 平地
騎手引退日 1994年2月28日
重賞勝利 2勝
通算勝利 2755戦181勝
調教師情報
初免許年 1994年(1995年開業)
経歴
所属 美浦T.C.
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堀井 雅広(ほりい まさひろ、1951年12月4日 - )は、京都府京都市伏見区の元騎手・元調教師

戸籍上の表記は雅廣である。

来歴

父は京都・久保道雄厩舎の調教助手で、中学卒業後に馬事公苑での騎手課程試験を受けたが、身長が伸びそうだという理由で不合格となる。

洛南高校卒業後に競馬界へ入り、1973年、22歳の時に中山・宮沢今朝太郎厩舎からデビュー[1]

1年目の1973年には3月10日中山第1競走4歳未勝利・アイアンナイン(15頭中6着)で初騎乗[2]を果たし、7月21日福島第7競走相馬特別・リサで初勝利[3]を挙げる。同日には続く第8競走信夫特別をサンヨウコウで勝利して特別戦連勝[4]で初の1日2勝[5]を挙げ、サンヨウコウでは8月12日に4頭立ての七夕賞を制して[6]重賞初騎乗初勝利[5]を達成し、秋は福島記念2着[6]に入った。師匠の宮沢は厳しく[7]、デビュー直後に障害馬の乗り方で注意を受け[7]、3ヶ月近く騎乗させてもらえなかったこともあり[7]、初年度は3勝[8]に終わったが、3勝は全て夏の福島の特別戦と重賞だけで挙げた[9]

3年目の1975年には4月12日13日の中山で初の2日連続勝利[10]を挙げると、関屋記念では14頭中13番人気のサンヨウコウで2着[6]に入り、初の2桁で20勝台となる23勝[8]をマークし、同年から1979年まで5年連続2桁勝利[8]を記録。

1976年には開催時期の変更で「東北記念」に変更された七夕賞[11]をニッショウで制したが[12]、3年ぶりの重賞勝利が最後の重賞勝利[13]となり、同年には2年連続20勝台の26勝[8]をマークしたが、結局この年が最後の20勝台で自己最多[8]であった。

1977年にはトウフクフヨウでクイーンカップ4着[14]、福島で行われた最後の福島大賞典[15]をニッショウで2着[16]に入った。

1980年にはダイヤモンドステークス・トウフクキヤノンでプリテイキャストの5着[17]に入り、ダービーデーの5月25日の東京第7競走むらさき賞[18]キタノダイオー産駒スターダイオーで17頭中15番人気ながら勝利[19]

1981年は6勝[8]1982年は8勝[8]をマークするが、2年間で挙げた計14勝[8]の内、10勝は新潟[20] [21]で記録。

1984年は初めて1勝[8]に終わり、1985年からは清水美波厩舎に移籍。

1986年には後にタマモクロスミヤマポピー兄妹の母となるグリーンシャトーの初仔であるシャトーダンサー[22]で特別戦を2勝[23]するなど、7年ぶりの2桁となる12勝[8]をマークしたが、結局この年が最後の2桁勝利[8]となった。

1988年からはフリーとなり、1989年には師匠の宮沢が管理する[24]ハギノカムイオー産駒カムイフジの主戦騎手として活躍[25]。最初の新馬はヒダカハヤトツルマイアスワンに次ぐ3着[26]に終わるが、折り返しの新馬でツルマイアスワンを抑えて逃げ切る[27]いちょうステークスは2番手から抜け出して連勝[25]すると、府中3歳ステークス2着で4戦2勝[25]とし、朝日杯3歳ステークスでは1番人気に推される[25] [28]。結果は勝ったアイネスフウジンに1秒6も離される7着惨敗に終わり、悔いが残った[29]。苦い思い出となり[30]、後に調教師になっても「この朝日杯だけは取りたい」と思うようになり[30]、常に朝日杯を念頭に馬を育てるようになる[29]。コンビは続投し[25]1990年の初戦となった共同通信杯4歳ステークス[25]でもアイネスフウジンに次ぐ2番人気[31]に推されるが、アイネスフウジンにスピードの違い[32]で逃げ切られて4着[25]に終わる。弥生賞からは郷原洋行に交代し、堀井は共同通信杯を最後に騎乗することはなかった[25]

1991年6月16日の福島第4競走4歳未勝利新馬をバンダムターボで逃げ切って師匠の宮沢に最後の勝利をもたらし、宮沢のラストランとなった7月6日の福島第10競走織姫賞・ホゲットミーノットは3着であった[33]。秋の東京では前田禎厩舎の3歳馬で新馬を2勝[34]するなど9勝[8]を挙げるが、1992年は1勝[8]に終わる。

1993年10月3日の福島第1競走4歳未勝利・ファインカップが最後の勝利となり、1994年2月27日の中山第8競走4歳以上500万下・ファインハッピー(16頭中7着)を最後に現役を引退[35]

1995年、厩舎を開業する。3月4日、初出走となった中山競馬場での第1レースは、リッチモンドロマンが6番人気で4着となる。5月6日東京競馬場での第8レースで15番人気だったマイネルエンブレムが勝利し、のべ35戦目で初勝利を挙げる。また、この年の鳴尾記念カネツクロスが制し、JRA重賞初勝利を挙げる。

調教師としての信条は出走回数の多さであり[36]2004年朝日杯フューチュリティステークスマイネルレコルトが制しJRAGI初勝利を挙げる。

馬主と共にアメリカの競走馬セールに出掛け、外国産馬を購入した先駆けの一人であり、短期免許で来日した外国人ジョッキーに積極的に騎乗依頼し、諸外国のエッセンスも取り入れる[1]。東西の垣根を越えて武豊をデビュー当初から重用し、当時は「関東の厩舎が何で関西の騎手を起用するんだ」と言われたこともあった[1]

2022年2月28日付けで定年のため、調教師を引退した[37]

騎手成績

通算成績 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率
平地 181 167 231 2755 .066 .126
日付 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1973年3月10日 未出走未勝利 アイアンナイン 15頭 10 6着
初勝利 1973年7月21日 相馬特別 リサ 9頭 5 1着
重賞初騎乗・初勝利 1973年8月12日 七夕賞 サンヨウコウ 4頭 2 1着
GI級初騎乗 1977年4月17日 皐月賞 テンザンサクラ 19頭 12 18着

おもな騎乗馬

調教師成績

日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 1995年3月4日 2回中山3日1R 4歳未勝利 リッチモンドロマン 16頭 6 4着
初勝利 1995年5月6日 2回東京5日8R 5歳上500万下 マイネルエンブレム 16頭 15 1着
重賞初出走・初勝利 1995年12月9日 1回阪神3日11R 鳴尾記念 カネツクロス 12頭 1 1着
GI初出走 1996年11月3日 5回京都2日10R 菊花賞 マイネルスピリット 17頭 17 15着
GI初勝利 2004年12月12日 5回中山4日11R 朝日杯FS マイネルレコルト 16頭 2 1着

主な管理馬

おもな厩舎所属者

※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。

出典

  1. ^ a b c 堀井師 馬主思い…出走回数にこだわり、諸外国のエッセンス導入も - スポニチ競馬Web”. keiba.sponichi.co.jp. 2025年11月6日閲覧。
  2. ^ 堀井雅広の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年11月6日閲覧。
  3. ^ 堀井雅広の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年11月6日閲覧。
  4. ^ 1973年07月21日のレース情報”. netkeiba.com. 2025年11月5日閲覧。
  5. ^ a b 堀井雅広の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年11月5日閲覧。
  6. ^ a b c サンヨウコウ”. netkeiba.com. 2025年11月6日閲覧。
  7. ^ a b c “皇帝”ルドルフの母に騎乗したことも…来年で定年の堀井調教師の経験を聞き漏らさず記憶に残したい”. 東京中日スポーツ. 2022年1月29日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m 堀井雅広”. netkeiba.com. 2025年11月6日閲覧。
  9. ^ 堀井雅広の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年11月6日閲覧。
  10. ^ 堀井雅広の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年11月5日閲覧。
  11. ^ 今週の注目レース(第51回七夕賞:歴史・プレイバック)”. 日本中央競馬会. 2016年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年11月6日閲覧。
  12. ^ レース名[東北記念]のレース検索結果|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年11月6日閲覧。
  13. ^ 堀井雅広の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年11月5日閲覧。
  14. ^ トウフクフヨウ (Tofuku Fuyo)”. netkeiba.com. 2025年11月6日閲覧。
  15. ^ 『中央競馬全重賞競走成績集 【障害・廃止競走編】』日本中央競馬会、2006年、325-342頁。
  16. ^ ニッショウ”. netkeiba.com. 2025年11月6日閲覧。
  17. ^ トウフクキヤノン (Tofuku Cannon)”. netkeiba.com. 2025年11月6日閲覧。
  18. ^ 1980年05月25日のレース情報”. netkeiba.com. 2025年11月6日閲覧。
  19. ^ スターダイオー”. netkeiba.com. 2025年11月6日閲覧。
  20. ^ 堀井雅広の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年11月6日閲覧。
  21. ^ 堀井雅広の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年11月6日閲覧。
  22. ^ グリーンシャトーの産駒成績|競走馬データ- netkeiba”. netkeiba.com. 2025年11月6日閲覧。
  23. ^ シャトーダンサー (Chateau Dancer)”. netkeiba.com. 2025年11月6日閲覧。
  24. ^ 宮沢今朝太郎の調教師成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年11月6日閲覧。
  25. ^ a b c d e f g h カムイフジ (Kamui Fuji)”. netkeiba.com. 2025年11月6日閲覧。
  26. ^ 3歳新馬|1989年9月16日”. netkeiba.com. 2025年11月6日閲覧。
  27. ^ 3歳新馬|1989年10月1日”. netkeiba.com. 2025年11月6日閲覧。
  28. ^ 中山を彩った名馬たち【35】アイネスフウジン1989年12月17日 第41回朝日杯3歳ステークス”. nakayama-racehorseowners.or.jp. 2025年11月6日閲覧。
  29. ^ a b 堀井調教師の執着、5度目で満願 - asahi.com : スポーツ : コラム”. www.asahi.com. 2025年11月6日閲覧。
  30. ^ a b asahi-net.or.jp/~uj5y-kwhg/04asahihaiFS.html”. netkeiba.com. 2025年11月6日閲覧。
  31. ^ 共同通信杯4歳S|1990年2月11日”. netkeiba.com. 2025年11月6日閲覧。
  32. ^ 『優駿』1990年4月号 136頁
  33. ^ 宮沢今朝太郎の調教師成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年11月6日閲覧。
  34. ^ 前田禎の調教師成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年11月4日閲覧。
  35. ^ 堀井雅広の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年11月6日閲覧。
  36. ^ 【青葉賞】堀井雅広師、ソニックが力出せるよう送り出す”. スポーツニッポン. 2022年1月29日閲覧。
  37. ^ 調教師7名が引退”. 日本中央競馬会 (2022年2月8日). 2022年2月13日閲覧。

関連項目





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