城下の街路と主要街道とは? わかりやすく解説

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城下の街路と主要街道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 08:36 UTC 版)

躑躅ヶ崎館」の記事における「城下の街路と主要街道」の解説

武田城下町は、相川扇状地扇頂部に位置する躑躅ヶ崎館機軸に、条坊制的に二町間隔で5本の南北基幹街路設定され東西に市が所在することからも京風町並意識していたことが指摘されている。考古学的に城下町整備当初から設定されていたかは不明であるが、文献史料では高野山成慶院甲斐国供養帳」や二次史料において街路地名見られる南北の主要街路西から南小路一条小路)・御崎小路(工小路)・広小路柳小路連雀小路)・鍛冶小路城屋小路)・大泉寺小路紺屋小路)が通過する東西の主要街路では城下南部穴山小路がある。これらの主要街路には折れ曲がったクランク設けられており、遠見遮断するための防御上の工夫であると考えられている。城下から甲斐国外へ通じ道としては、城下南東八日市場からは鎌倉街道秩父往還若彦路青梅街道甲州街道中道往還分岐する道発し城下南西からは駿州往還・駿信往還佐久往還棒道穂坂路逸見路に分岐平行して城下町建設新たな寺社創建市場開設など府中整備が行われる。城下町北面には家臣団屋敷地整備され南面には商職人町整備された。城下出入口である東西には市が所在し城下西部には天文5年1536年)には開設されている八日市場が、城下東部には大永6年1526年)には開設されている三日市場位置している。 城下町外部境界にあたる上木戸には刑場があり、蓮台場には共同墓地、少し離れた堺町には牢屋もあった。城下町はこれらの空間的に独立した町場包摂した。

※この「城下の街路と主要街道」の解説は、「躑躅ヶ崎館」の解説の一部です。
「城下の街路と主要街道」を含む「躑躅ヶ崎館」の記事については、「躑躅ヶ崎館」の概要を参照ください。

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