地域による経済の違い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 09:00 UTC 版)
「南北戦争の原因」の記事における「地域による経済の違い」の解説
南部、中西部および北東部は全く違う経済構造であった。互いに交易があり、それぞれ合衆国の中に留まることでより繁栄をもたらしていたのは、1860年から1861年の多くの実業家が指摘したことでもある。しかし、1920年代のチャールズ・ベアードは、(奴隷制や憲法論議よりも)これらの違いが戦争の原因になったという高度に影響のある議論を行った。ベアードは北部の産業と中西部の農業が連携して南部のプランテーション経済と対峙したという見方をした。これを批判する人は、北東部が多くの異なる競合的経済利益によって高度に多様化しており統一された北東部という見方が正しくないと指摘した。1860年から1861年、北東部のほとんどの実業界利益代表は戦争に反対した。1950年以降、ベアードの解釈は自由意志論経済学者には受け入れられているものの、歴史家の主流でこれを認めるものは少数に過ぎない。歴史家のケネス・スタンプは1950年以降ベアード説を棄てて、学界の合意事項を総括した。「ほとんどの歴史家は...なぜ北部と南部の異なる経済が分裂を生み南北戦争を起こしたかという説得力のある理由を今は見出せない。むしろ彼らはなぜ、経済が互いに補い合っていた二つの党派が、合衆国に残る利点をそこに見出さなかったかという強く実際的な理由を見付けた。
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