地区の成立ち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 06:48 UTC 版)
平安期 - 昭和初期 旧家(草分け)の殆どは高台(山)の上に存在する。各家ごとの伝承や本家分家の分布を調査してみると、中世城址を要(金杉1 - 3丁目と9丁目周辺)に北東側に集落が形成されて来たと考えられる。また、1880年-1886年にかけてつくられた迅速測図 と1956年(昭和31年)の白地図を比較すると1960年以前まで目立った開発が行われておらず、城址、各民家の入口、神社仏閣の参堂と接するように一本の村道が有機的な線を描きながら南北に伸びていることが確認で出来るなど、中世頃までの集落の構成・構造についてある程度確認することが可能である。また、村の村道や耕作道などについても現在でも一部確認することが可能で、小道や坂によっては呼称がつけられている。 村の入口(入口付近の細い道端には道祖神を確認することが出来るほか、その周囲の道は、外敵を防ぐためか、一層道幅が狭く、両側には土塁が存在する)は、金杉城址のすぐ南側にあり、台地から低地へと傾斜している。また、その周辺の台地(船橋市立医療センター周辺の台地)には「馬立場」という小字が見られることから、集落内で使用した馬(軍馬・農耕馬)を放牧、あるいはつないでおく様な場所が存在したのではないかと考えられている。
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