地区の地理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 07:12 UTC 版)
現在の安達ケ原地区は、江戸末期においては、安達郡大平村の北部にあったと考えられている。大平村の二本松市への編入により、現在は安達ケ原と呼ばれるようになった。市内東部を流れる阿武隈川が東へ屈曲する東岸に位置する台地状の地形部にある。なお、江戸時代から明治期に整備された奥州街道(国道4号)は、阿武隈川の西側に位置しており、直接的に安達ケ原地区に接続していたわけではない。そのため、後述する松尾芭蕉や正岡子規が「黒塚」を訪問した時には、油井村との間に敷設されていた渡し船(供中の渡し)を通って、訪問したものと考えられる。 なお、安達ケ原地区は、昭和23年(1948年)に福島県によって指定された、霞ヶ城県立自然公園の一部をなしている。そのため、公園面積の比率の大きな地区でもある。
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