土器の形式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 16:20 UTC 版)
前述のとおり、本遺跡の住居跡は、伴出する土器の形式から、弥生中期後半、後期前半、後期中葉の前半・後半、弥生後期後半に分けられている。以上の各時期と、該当する土器形式を整理すると以下のとおりである。中期後半の住居からは南関東系の宮ノ台式土器が出土するが、この時期の住居と推定されるものは3軒のみで、本遺跡の主体となる時期ではない。後期前半の土器は、北関東系(中部高地型)の岩鼻式2・3期と、南関東系の久ヶ原I式が併存する。岩鼻式は中部高地型の櫛描簾状文を特色とする。久ヶ原式の特色は羽状山形文である。この時期の土器は環濠からは出土せず、この時期には環濠がまだ造られていなかったとみられる。住居の平面形は隅丸長方形で、複数の炉を有するのが特色である。なお、本遺跡の弥生中期集落と弥生後期集落は、直接連続せず、間に空白期が存在した可能性がある。 弥生後期中葉から後半にかけては、下戸塚式土器が伴出する。住居の平面形は楕円形ないし小判形となる。東京都新宿区の下戸塚遺跡を標式遺跡とする下戸塚式土器は、東遠江の菊川式土器に類似しており、ハケ刺突文・ハケ目沈線を特色とする。後期中葉の前半は下戸塚式の中段階古期に相当し、久ヶ原II式古段階の土器も出土する。本遺跡の環濠はこの時期に造られたとみられる。後期中葉の後半は下戸塚式の中段階新期に相当し、久ヶ原II式新段階の土器も出土する。この時期には早くも環濠が埋没する。弥生後期後半は下戸塚式新段階に相当し、この時期を最後に集落は廃絶する。
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