国際交流・民間外交
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:55 UTC 版)
明治12年(1879年)、前アメリカ合衆国大統領グラント夫妻の訪日に際して東京商法会議所、東京府会に働きかけ、接待委員会を組織。福地源一郎と共同で接待委員総代を務めて歓迎行事を準備し、飛鳥山の自邸(迎賓接待用の別邸)でも歓迎会を実施した。明治14年(1881年)にはハワイ王国のカラカウア王の招待会を飛鳥山邸にて開催した。 明治26年(1893年)、栄一は海外からの賓客に対応するための組織として「貴賓会」を設立して幹事長となる。こうした事業は1912年のジャパン・ツーリスト・ビューロー(JTB)設立に繋がる。明治31年(1898年)、大韓帝国(韓国)を実地視察、韓国皇帝高宗に謁見。韓国のインフラ整備を支援し近代化を進め、両国間の貿易を通じて、善隣友好関係を結ぼうとの考えから、京釜鉄道、京仁鉄道の敷設に尽力。 明治35年(1902年)に米欧を実地視察し、各地の商工会議所メンバーと交流したほか、セオドア・ルーズベルト米国大統領とも会談。明治36年(1903年)、大隈重信らと共に日印協会の設立に携わる。後に実業界引退後は第三代会長も務めた。明治41年(1908年)、キリスト教系慈善団体の救世軍創設者のウィリアム・ブース来日時には、飛鳥山邸で歓迎午餐会を開いた。
※この「国際交流・民間外交」の解説は、「渋沢栄一」の解説の一部です。
「国際交流・民間外交」を含む「渋沢栄一」の記事については、「渋沢栄一」の概要を参照ください。
- 国際交流・民間外交のページへのリンク