国内ツーリングカー・スポーツカー時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 05:34 UTC 版)
「日本グランプリ (4輪)」の記事における「国内ツーリングカー・スポーツカー時代」の解説
1963年〜1969年(1970年は中止) 1962年に鈴鹿サーキットが完成し、1963年5月に「第1回日本グランプリ自動車レース大会」が開催された。このレースは日本における本格的な自動車レースの始まりとされる。第2回までは市販車を改造したツーリングカーやグランドツーリングカーを中心に、排気量ごとにクラス分けして行われた。1966年の第3回大会より富士スピードウェイに舞台を移し、スポーツカーさらには二座席レーシングカーのレースとなり、「TNT(トヨタ、日産、タキ・レーシング)」のビッグマシン対決などの話題で盛り上がった。 1970年には日産が「排ガス対策の開発に集中したい」との理由から日本グランプリの参戦取り止めを発表。トヨタもそれに追随したため、日本自動車連盟(JAF)はこの年の日本グランプリ開催を断念。大排気量レーシングカーによる日本グランプリは終焉を迎える。
※この「国内ツーリングカー・スポーツカー時代」の解説は、「日本グランプリ (4輪)」の解説の一部です。
「国内ツーリングカー・スポーツカー時代」を含む「日本グランプリ (4輪)」の記事については、「日本グランプリ (4輪)」の概要を参照ください。
- 国内ツーリングカー・スポーツカー時代のページへのリンク