国内の教会情勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/05 05:53 UTC 版)
「ハンス・ニールセン・ハウゲ」の記事における「国内の教会情勢」の解説
当時、デンマーク=ノルウェーの国教はルーテル教会であった。そして国民には信教の自由は保障されていなかった。ルーテル教会の教え・信仰告白は国家にとって大事な基礎であるとして、国民がその教えから逸脱することは許されず、国教に反することは犯罪行為であった。特に1741年にデンマーク=ノルウェーで制定された「小集会に関する法律」においては、家庭集会も全て牧師の監督下におくこと、平信徒の説教も牧師の立ち合いなしには認めないことが記されており、信徒伝道者が各地を回って集会を開くことも犯罪とみなしていた。 しかし一方で、18世紀初めごろからデンマーク=ノルウェー国王が敬虔主義の教えを奨励しており、国王クリスチャン6世は敬虔主義的な宮廷牧師エーリック・ポントピダンに759条の教理問答書を作成させ、広く国民に敬虔主義的なルーテル教会の教えを広めていた。この敬虔主義的な思想においては、家庭集会実施の推奨、信徒が聖書を読むことに重点を置くこと、そして信徒がルターの万人祭司の教えに従って自発的に活動すべきことなどが強調されていた。 したがって、当時のデンマーク=ノルウェーでは、国教としてのルーテル教会が国民信徒の活動を制限するという側面と、そのルーテル教会が国民信徒に広めている教えが実際は敬虔主義的なものであったという側面が、相矛盾するような形で同居している状態であった。そして、ちょうどそのような国家・教会情勢のなか、ハウゲがデンマーク=ノルウェーの地に生まれてきたのであり、この国内情勢が後々、ハウゲの活動にとって障害となっていった。
※この「国内の教会情勢」の解説は、「ハンス・ニールセン・ハウゲ」の解説の一部です。
「国内の教会情勢」を含む「ハンス・ニールセン・ハウゲ」の記事については、「ハンス・ニールセン・ハウゲ」の概要を参照ください。
- 国内の教会情勢のページへのリンク