国・地域別対抗戦がスタート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 21:22 UTC 版)
「ツール・ド・フランス1930」の記事における「国・地域別対抗戦がスタート」の解説
ともすれば個人任せというルールであるがゆえに、1929年のツール・ド・フランスにおいて、ヴィクトール・フォンタンがマイヨ・ジョーヌを着用したまま棄権せざるを得なくなったことをきっかけにして、今大会から個人での参加はできなくなり、国・地域のチームにエントリーされた選手だけが出場できることになった。しばしば近代ツールという言葉が使われるケースがあるが、それは事実上今大会に始まるといっても過言ではない。なお、国・地域別のチーム編成は、1961年まで続けられることになる。 参加チームは、ベルギー、イタリア、スペイン、ドイツ、フランスの各ナショナルチームに加え、いわゆる多国籍軍ともいえる混成7チームの合計12。 序盤はレアルコ・グエッラ、アルフレッド・ビンダらを擁するイタリアチームが優勢に立ったが、ピレネー越えステージ序盤の第9ステージにおいて、アンドレ・ルデュック、アントナン・マーニュらを擁するフランス勢が、総合首位にいたグエッラを壊滅に追い込み、このステージでマイヨ・ジョーヌをつかんだルデュックが最後まで首位を守って総合優勝を果たした。
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