囲い込み以前の農業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 07:48 UTC 版)
囲い込み以前のイギリスにおける農業は他の西欧諸国と同様、開放耕地制、混在地制、三圃制により成り立っていた。 三圃制においては冬期に飼料が不足するため、一年を通じて家畜を飼育することが不可能であった。そのため、いくつかの家族が集まり犂耕集団を形成し、耕地内を移動しながら共同で犂耕と播種を行った。しかしこの方法では全耕地での作業終了までに2ヵ月近い時間を要したため、作業時期による収穫量の多寡が発生した。そこでこの不公平を避けるべく、土地が入り組み、順番にそれぞれの土地を耕していける混在地制が採られていた。 収穫から次の播種までの期間、耕地は共同の放牧地とされたが、これは農村における共同権として農村における共同体成員に認められた権利であった。こうした土地の共同利用は慣習に従って規定され、違反者は厳しく罰せられることもあった。 また共同利用される土地はお互いの持つ耕地の他に、村落周辺の荒蕪地も存在した。この荒蕪地において、共同体成員は薪や柴、泥炭などの燃料を無料で手に入れることが可能であった。荒蕪地には小屋が建てられ、自分の耕地を持たない零細な「小屋住農」が住むことを認められていた。彼らは居住するのみならず、荒蕪地に自家用の農地を作ることも許されていた。これは小屋住農を共同体全体で養うことで、播種と収穫時期に不足する労働力を補うことを目的としていた。 こういった共有地に依存した零細な農業従事者は、共有地が廃されると自立して生活して行くことが不可能となり、比較的早い時期より土地と切り離された労働者となっていった。
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