四国八十八箇所第37番札所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 22:25 UTC 版)
「吉蔵寺」の記事における「四国八十八箇所第37番札所」の解説
廃仏毀釈の影響により、岩本寺に限らず四国の仏閣の多くは荒廃していた。 ある夜、五代目が夢の中で鐘の音を聞き、翌朝仏間に入ると八十八箇所の納め札が37枚置かれていた。そこで第37番札所のことを調べると、岩本寺が財政難で維持困難な状況であることが分かった。そこで岩本寺の本尊と納経版木を3,500円で買い取り、「第37番札所・大黒山吉蔵寺」とした。時期については不明であるが、高群が「娘巡礼記」の中で「今(大正9年)から三十幾年前」としていることから、創建最初期のことと考えられる。 しかし、廃仏毀釈が落ち着き始めると、明石寺の第43番の次が吉蔵寺の第37番が来ることに遍路が困惑してきたこと、また再興された岩本寺から本尊と納経版木の返還を要求され、裁判の結果、これらが岩本寺に返還されることとなった。 第37番札所の終わりについては明らかでは無い。高群が巡礼した大正9年ごろは第37番札所とされていたことは明らかである(この時既に岩本寺は再興されていることから、第30番札所(善楽寺と安楽寺)のように並立していたものと考えられる)。平成26年(2014年)ごろ当時の住職によると、東京オリンピック(昭和39年(1964年))ごろまでは「第37番札所」の看板が掲げられていたとのことである。また、最近でも「真言宗のお経をあげて欲しい」という巡礼者が立ち寄ることがあるそうである。
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