四国、高松での生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 06:13 UTC 版)
夫の中城博は1948年6月、香川県高松市の四国鉄道管理局に転勤となった。この転勤は中城博の才能を配慮した上司が、新たな環境である四国で心機一転を図るようにとの温情であるとの説と、ヤミ屋など危険を伴う副業に手を染める中で詐欺事件を起こし、札幌に置いておけなくなったためとの説がある。 高松では鉄道官舎で夫の弟夫婦世帯と同居した。ふみ子の家族はふみ子と夫、そして三人の子ども、夫の弟夫婦にも子どもが一人いたので、広いとはいえない鉄道官舎は大勢が同居して賑やかであった。北海道と風土が全く異なる四国に最初は戸惑いながらも、瀬戸内海の明るい光景などに次第に馴染んてきた。しかし夫婦の間に入っていた亀裂は高松での生活でも徐々に大きくなっていた。ふみ子は気分が晴れないときは夜の街を歩くようなり、東京家政学院時代、大好きであったダンスを再開した。高松時代、ふみ子はダンスに熱中する。そして夫の博も鉄道省の官吏生活に嫌気が差しつつあった。 なお、札幌から高松に引っ越した後もふみ子は「新墾」への投句を継続した。この頃には掲載される歌の数も増え、「新墾」の中での扱いも高くなっていた。
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