周囲の眼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/18 05:49 UTC 版)
「ジュゼッピーナ・ストレッポーニ」の記事における「周囲の眼」の解説
ヴェルディはストレッポーニを伴い、1849年に郷里ブッセートに帰る。予想されていたことではあったが、郷里の人間はジュゼッピーナに対してあからさまに冷たい態度をとった。前妻マルゲリータはこの街ブッセートの出身であり、その父(ヴェルディの義父)であり、若く貧しいヴェルディ夫妻に経済的援助を惜しまなかったアントニオ・バレッツィもこの頃は街の名士として健在であった。田舎町の保守的な道徳観をもつ人々が、この「ミラノなどの大都市で歌い、3人の婚外児まで産み、ヴェルディとパリで同棲していた元プリマ・ドンナ」を暖かく迎え入れるはずもなかった。彼女に話しかける人が稀だったばかりか、信心深いジュゼッピーナが日曜の教会礼拝に赴くと人々が席を立って帰ることもあったという。教会の司祭も、こうした態度を奨励しないまでも黙認していたようだ。 不可解なのは、そのような事態に直面してもなお、ヴェルディがジュゼッピーナとの正式な婚姻に踏み切ろうとしなかったことだった。ヴェルディ自身の書簡に、ジュゼッピーナに対する人々の態度を非難するものも数多いので、彼が周囲の事態を知らなかったということではない。自分と同棲する以前の華やかな男性交際に対するヴェルディ自身の困惑、彼の経済的成功に伴い婚姻が財産問題という微妙な問題に関連してきたこと、そして何より、ヴェルディ自身がどちらかというと反教会的人間であり、教会で婚礼を挙げること自体に対して消極的だったことが理由として考えられている。 ヴェルディとジュゼッピーナの2人は、結局ブッセートでの冷たい眼に耐えかね、近郊のサンターガタに農園を購入(1851年)、そこに引きこもったような生活を営むことになる。自らを農民出身と自負してきたヴェルディはともかく、華々しい都会生活を常としてきたジュゼッピーナにとっては、退屈な日々だったに違いない。 なお、この頃のジュゼッピーナに対する人々の仕打ちに、かつて放恣な生活を送ったがためにその至誠の愛が理解されない『ラ・トラヴィアータ(椿姫)』(初演1853年)の女主人公ヴィオレッタ・ヴァレリーの運命を重ね合わせる分析もしばしば行われる。
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