君帰観音堂とは? わかりやすく解説

君帰観音堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/04 09:25 UTC 版)

君帰」の記事における「君帰観音堂」の解説

和銅年間708年 - 715年)に泰澄大師阿弥陀如来像安置し大日堂建立したことが始まりであり、文治3年1187年)、修験者主従源義経一行)が京都から追われ奥州平泉岩手県平泉町)に下向する途中大日堂滞在し背負ってきた観世音菩薩像紺紙金泥経巻を寺に納めて立ち去ったとされる現在の本尊は、そのとき寄進され聖観音立像である。 鎌倉時代建久7年1196年越後国主出雲守真垣(いずものかみまがき)の娘泰代が義経観音慈悲にすがるため、当初稲場大日堂聖観世音菩薩像を安置するための三間四面堂宇(庵寺)を建立し承久2年1220年5月18日入仏供養したとされている。江戸時代寛永年間1624年 - 1643年)より改築をはじめ宝永2年1705年)現観世音堂(堂宇五間×五間)が完成した聖観音立像カツラ材1本造り、丈四尺八六分(約1.47m)、背裏に承久2年1220年5月18日の銘が書れている。 33年ごとの御開帳する秘仏新潟県指定重要文化財指定されている。 本尊阿弥陀如来像は、長福寺越後一揆加担したため、堀丹後守焼き払われ現在の場所に移動したと言われており、元あったとされている場所付近に土台残っている。 観音堂2008年7月31日修復建設がされた。 2018年8月33年一回御開帳予定されている。

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