名古屋市以外の計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 01:44 UTC 版)
大阪 大阪では1915年(大正4年)に霊柩電車構想が浮上したが、第一次世界大戦開戦後に経済が復調すると大阪市の人口は150万人を超え、都市化と相まって自動車が普及し、霊柩電車構想は実現しなかった。 東京 東京は江戸時代以来下町に人口が集中していたが、1916年(大正5年)頃から東京への人口集中がさらに進み、下町では住宅不足に陥っていた。そのため、雑木林やススキの草原だった武蔵野・多摩で宅地開発が行われるようになり、火葬場も下町からこれらの地域に移転した。 1921年(大正10年)になると、当時はまだインターアーバンの路面電車であった京王電気軌道(現・京王電鉄)に霊柩電車を走らせる計画が浮上した。京王線沿線には多磨霊園があり、京王線から霊園まで既存の道路に軌道を敷設することを想定していたが、大阪同様に都市化の進行とともに自動車が普及し、この計画も実現されなかった。
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