名古屋市への編入への経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 05:53 UTC 版)
「守山市 (愛知県)」の記事における「名古屋市への編入への経緯」の解説
1951年(昭和26年)、当時の守山町長により、守山町は市制移行事項を議会に提案し可決される。1953年(昭和28年)には守山町、旭町、志段味村の2町1村での合併、市制が計画される。しかし、旭町は単独市制を望み離脱。そのため、守山町と志段味村とで合併し、守山市となる。 1955年(昭和30年)、第1回市議会議員選挙の結果、名古屋市との合併を推進する議員多数を占めることとなる。また、住民からも名古屋市との合併を望む声が多かったため、1960年(昭和35年)に住民投票を実施して合併の賛否を問うことが決定する。しかし、1959年(昭和34年)9月26日の伊勢湾台風の被災復興のため、延期となる。 1961年(昭和36年)10月、住民に世論調査を行い、名古屋市との合併に賛成が81.94%に及ぶ。この結果を踏まえて、1962年(昭和37年)1月に守山市は名古屋市への合併を申し入れる。同年9月に名古屋市議会は合併受け入れを議決する。 ウィキソースに志段味村を守山町に編入する件の総理府告示文があります。 ウィキソースに守山町を守山市とする件の総理府告示文があります。 ウィキソースに守山市を名古屋市に編入する件の自治省告示文があります。
※この「名古屋市への編入への経緯」の解説は、「守山市 (愛知県)」の解説の一部です。
「名古屋市への編入への経緯」を含む「守山市 (愛知県)」の記事については、「守山市 (愛知県)」の概要を参照ください。
- 名古屋市への編入への経緯のページへのリンク