同盟解消とは? わかりやすく解説

同盟解消

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 17:57 UTC 版)

日英同盟」の記事における「同盟解消」の解説

第一次世界大戦後1919年に、パリ講和会議日本イギリスを含む「五大国」の利害対立しとりわけ国際連盟規約起草における日本の人種的差別撤廃提案否決されたことは禍根として残り1921年に、国際連盟規約への抵触日英双方国内での日英同盟更新反対論日本との利害対立から日英同盟廃止を望むアメリカ思惑日本政府対米協調路線背景ワシントン会議開催され、ここで、日本イギリスアメリカフランスによる四カ国条約締結され同盟更新行わないことが決定され1923年日英同盟拡大解消した。 「拡大」とはいってもこれは日英同盟実質的弱体化であった当時イギリス外相アーサー・バルフォアは「20年維持しその間二回の大戦に耐えた日英同盟破棄することは、たとえそれが不要の物になったとしても忍び難いものがある。だがこれを存続すればアメリカから誤解を受け、これを破棄すれば日本から誤解を受ける。この進退困難を切り抜けるには、太平洋に関係のある大国全て含んだ協定代えるしかなかった」という心境告白している。

※この「同盟解消」の解説は、「日英同盟」の解説の一部です。
「同盟解消」を含む「日英同盟」の記事については、「日英同盟」の概要を参照ください。

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