同盟軍のウルグアイ侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/07 17:22 UTC 版)
「ラ・プラタ戦争」の記事における「同盟軍のウルグアイ侵攻」の解説
同盟軍のウルグアイ侵攻(左)とアルゼンチン侵攻(右) カシアス伯爵率いるブラジル軍16,200人は1851年9月4日にリオグランデ・ド・スル州とウルグアイの国境を越えた。彼の軍勢は4個師団(歩兵6,500人、騎兵8,900人、砲兵800人、大砲26門)で構成された。これはブラジル陸軍(37,000人)の4割以上を占めた。また、カシアス伯爵は4千人をブラジルに残して国境を守備させた。 ウルグアイに侵入したブラジル軍は三手に分かれた。本軍はカシアス自ら率いた第1師団と第2師団(約12,000人)でサンタナ・ド・リヴラメントから進軍した。ほかにはダヴィド・カナバロ(英語版)率いる第4師団がクアライ(英語版)から進軍してカシアスの右翼を守り、ジョゼ・フェルナンデス准将(José Fernandes)率いる第3師団がジャグアラン(英語版)から進軍してカシアスの左翼を守った。ウルグアイ領フルトゥオーソ(Frutuoso)に到着した直後、カナバロ率いる第4師団がカシアスと合流した。そして、フェルナンデス率いる第3師団はモンテビデオに到着する直前にカシアスと合流した。
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