合併の後再分離
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 02:22 UTC 版)
折りしも、1919年に設立され、関西地方を基盤とした電力会社である日本電力は関東への進出の機会をうかがっていたが、小田原電気鉄道が資金調達に腐心していたことに着目した。日本電力副社長の池尾芳蔵と同じ滋賀県出身である堤康次郎の仲介により、数度にわたる交渉の末、1928年1月20日付で小田原電気鉄道は日本電力に吸収合併され、日本電力小田原営業所となった。各事業はそのまま継承された。合併後、日本電力によって送電線や事務所の建物など、目につく場所には日本電力の広告看板が掲出されたという。 しかし、日本電力が小田原電気鉄道を吸収合併したのは電力設備が目当てであった。これを裏付けるように「儲かる方の電灯事業を親会社が抱き込んで、儲からない電車部を切り離し」という当時の関係者の発言が残っている。事実、合併後わずか2ヵ月後の同年3月29日には新会社設立の発起人会議が行われている。同年8月13日に日本電力が全額出資し、電力事業以外の全ての事業を継承した箱根登山鉄道として分離され、社長には池尾芳蔵が就任した。
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