合併による新・東能勢村の成立の経緯
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「豊能町」の記事における「合併による新・東能勢村の成立の経緯」の解説
大阪府は町村合併促進法(1953年(昭和28年)に制定)」に基づき、旧能勢郡に属する奥能勢6村(東能勢、吉川、田尻、歌垣、東郷、西能勢)を1村とする方針を定めた。当初より段階的な統合を検討しており、その第一段階として東能勢、吉川村の合併が考えられていた。1955年には両村会議長が府に対して、両村を結ぶ道路を作るか、野間峠に新トンネルの建設を陳情している。しかし期限切れの直前となる9月11日の会合で、新村の仮庁舎をどこに設置するかで紛糾し、6村合併は頓挫。自村への設置に拘り紛糾の元となった東郷村長は引責辞職を表明し、合併から離脱した。 残る5村は、13日に協議会を開き東能勢・吉川村、西能勢・歌垣・田尻村がそれぞれ新・東能勢村、能勢村(後の能勢町)として合併することで合意、期限切れ当日の9月30日に施行された。なお、合併から取り残された東郷村も1959年(昭和34年)に能勢町へ編入されている。その後は能勢町、及び箕面市止々呂美地区と東地区の親交が深かったため箕面市とも合併構想を検討していたが、いずれも進展なく終わっている。 合併による新・東能勢村の成立以前にも1895年(明治28年)には(東西連絡で府県境越えとなる部分である)兵庫県川西市黒川地区を吉川村に合併する話が持ち上がったが、見送られた。 「平成の大合併」では、飛地となる池田市との合併をも検討されたが不調に終わった。
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