各地の義本王伝説とは? わかりやすく解説

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各地の義本王伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 14:39 UTC 版)

義本」の記事における「各地の義本王伝説」の解説

沖縄本島南部玉城城義本まつわる伝説残されている。退位後義本は「天つぎ・あまつぎ」といわれる玉城城現れ自分不徳を天に詫びようと焼身自殺図った城内積み上げその上に座り臣下火をつけるよう命令した。しかし、義本燃え移ろうとした時、突然空曇り始め大雨もたらした。これにより、焼死免れ失意のうちに臣下と共に帰路についたが、大雨による増水で来た道が川となっていたので、義本仕方なく泳いで渡った。この渡った場所が、「泳ぎ口」と呼ばれ、後に「上江洲口(イイジグチ)」となったと言われている。 義本直系子孫といわれる花崎家の伝承によれば国頭村辺戸隠遁し時世落ち着いてから読谷村瀬名波渡り晩年北中城村仲順没したという。国頭村辺戸逃れた義本は、祝女との間に男子儲け、それが第二尚氏尚円王祖先であるという。また、辺戸に向かう道すがら同村佐手という集落立ち寄り、「サチウイ」とよばれる場所の井戸水飲み、ここが当地発祥の地と言い伝えられている。さらに同村与那集落でも、辺戸へ行く途中に、現地女性との間に2人の子供を授かったといい、伊地集落には、義本が海から上陸した浜と、飲んだ川や登ったとされる山があるという。 鹿児島県奄美群島にも義本王伝説がある。奄美大島家によると、退位後義本は「阿麻弥(あまみ)島」に渡り当地定住したその子孫家となり、義本の子・継好(つぐよし)が奄美大守称したとされるまた、喜界島にも、「ジブンシュー伝説」なるものが存在し、「ジブン」とは義本転訛とされ、「シュー」は高貴の人に対して付けられる尊称、すなわち「主」と解されるまた、玉家系図によると義本王嫡子は阿麻彌島(徳之島天城町平土野密かに隠れた記されている。

※この「各地の義本王伝説」の解説は、「義本」の解説の一部です。
「各地の義本王伝説」を含む「義本」の記事については、「義本」の概要を参照ください。

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