古墳の保護と活用、そして今後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 00:27 UTC 版)
「狐塚古墳 (世田谷区)」の記事における「古墳の保護と活用、そして今後」の解説
1954年(昭和29年)、世田谷区は狐塚古墳と周辺の緑地を借地し、「区立尾山台クラブ広場」として地域に開放した。これは国分寺崖線と歴史的遺跡を保全すると同時に、緑地を維持する目的も含んでいた。2013年(平成25年)に用地買収を行い、翌年度に整備を完了して都市緑地に位置づけて「世田谷区立狐塚古墳緑地」として区立公園となった。 2015年(平成27年)、世田谷区文化財保護審議会は狐塚古墳を新たな史跡の指定候補として選定した。これには公園としての整備が完了したため、保存できる体制が整ったということが理由として挙げられた。 2014年(平成26年)、9月から10月にかけて「尾山台公式マスコットコンテスト」が開催された。このコンテストに応募があった作品の中から「オッポン」が最優秀作品に選ばれた。「オッポン」は狐塚古墳に由来する「狐のようなしっぽ」を特徴としている。2015年(平成27年)10月17日、オッポンは世田谷区から「特別住民票」を交付された。
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