受電料金問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 09:28 UTC 版)
1920年代後半に不況が深刻化すると、電力業界では電気を小売りする受電者側と、過剰な発電力を抱える卸売り会社との間で対立が生じ、小売り会社側が受電料金の値下げを要求し卸売り会社側がこれを拒否するという構図で料金更改をめぐる紛争が各地で多発した。東邦電力でも同時期、大同電力と日本電力の2社との間に同様の問題を抱えた。 日本電力からの受電契約は前述の通り1924年に契約。受電電力は毎年1万kWずつ増加し続け、また受電地点は日本電力熱田・岐阜両変電所と自社岩塚変電所の3か所に1928年12月以降は日本電力名古屋変電所も加わっていた。料金は1kWhにつき2銭1厘(責任負荷率=最低使用量超過分は1銭2厘)、1kWあたりでは責任負荷率は契約電力の70%のため年間128円77銭2厘であった。最初の料金更改日は1931年(昭和6年)6月10日と定められており、同年4月ごろから交渉が始まったが、両社間で値下げ幅に大きな隔たりがあり更改日を過ぎても妥協に至らなかった。そのため両社で三井銀行の池田成彬と東京海上火災保険の各務鎌吉に裁定を依頼。12月22日付で言い渡されたその裁定に従い、料金は1kWhあたり2銭1毛(最低使用量超過分は1銭2厘に据え置き)・責任負荷率60%・1kWあたり年105円65銭と改められた。なお日本電力からの受電電力は、契約通り1933年(昭和8年)10月1日以降10万kWとなっている。 日本電力と同様1924年に締結されていた大同電力からの受電契約は1929年11月1日に更改日を迎えた。料金は1kWhにつき2銭(責任負荷率70%・1kWあたり年122円64銭)であったが、更改にあたり東邦電力側が大幅な料金引き下げを要求したため交渉は難航し、2年経っても決着しなかった。日本電力との紛争解決を機に早期解決を目指すこととなり、1931年12月再び池田・各務の両名に裁定を依頼。翌1932年(昭和7年)2月25日、料金は1kWhあたり1銭9厘7毛、責任負荷率60%(超過分の料金は1kWhあたり1銭2厘)、1kW換算で年103円54銭余りとする、という裁定が下された。
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