取調べが始まるまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 13:49 UTC 版)
「第一大邦丸事件」の記事における「取調べが始まるまで」の解説
同船は11時30分に済州島の翰林面に入港させられ、日本人船員は憲兵によって警察に引き渡され、船内の目ぼしい私物、装備及び漁獲物は警察に略奪された。その際に日本人船員側が憲兵に対して負傷者がある旨を伝えたので、船員は翰林面の『高医院』に収容された。しかし『高医院』とは名ばかりの医院で、病室はもちろん設備も全く無く、医師は見ただけで「これは駄目だ」といって漁撈長の手当てを拒否した。 船員たちは警察に行き軍病院かどこかへの入院を依頼した。しかし警察は「我々は軍の命令によって行動したのであって、我々に責任はない」と拒絶した。そこで船員たちは憲兵隊へ行き、病院への収容を再度依頼したが、憲兵隊長に「盲貫銃創だからとても駄目だ」と言われて再度拒否された。船員側の度重なる依頼の末、軍病院への入院が許可された。その際に「車は直ぐ来ますから」と言われたため、船員はそのまま漁撈長の元へ行った。病院までの搬送の間に漁撈長が死なないように、医者にリンゲルの注射を求めたが、医者はリンゲルは高価だと躊躇。結局船員が私物を売り払って金を払う約束をしてリンゲルを一本射ってもらった。 しかし韓国側は結局車を出さず漁撈長を放置し、漁撈長は2月6日の23時に死亡した。翌日漁撈長の遺体は命中弾が軍のものか警察のものか判明させる為に韓国側によって解剖され、結果憲兵の銃撃によるものであることが判明した。同日より警察に火葬の手配を頼んだが黙殺され、船員は残った私物の一部を売り払って葬儀一式を整え、足りない薪を付近の松の枝などで補ってさらに翌日に火葬した。
※この「取調べが始まるまで」の解説は、「第一大邦丸事件」の解説の一部です。
「取調べが始まるまで」を含む「第一大邦丸事件」の記事については、「第一大邦丸事件」の概要を参照ください。
- 取調べが始まるまでのページへのリンク