反清思潮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 01:53 UTC 版)
清を構成する満洲人への反発は存在していたが、清中期には表面化することはほとんどなくなった。しかし、清末の政治的閉塞感から漢人の間に反満意識が形成されるようになった。太平天国では満洲人排除が政治主張に含まれ、1890年代になると明末の著作に刺激を受けて満洲人排除の潮流が発生してきた。清朝打倒を目指す革命運動家は反清復明思想を利用し、鄒容による『革命軍』などの著作が生まれ、知識人の間に広がった。孫文などの革命勢力は、満洲人を満洲に追い出して漢人の明王朝が支配していた黄河・長江流域とその周辺地域に漢人の国家建設を目指そうとした。しかし、辛亥革命後は革命スローガンも「打倒韃虜」から独立の動きを見せたチベット、モンゴルなどの少数民族を漢族の支配下に置こうとするために「五族共和」を唱え始めた。
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