原子力艦の検討と挫折とは? わかりやすく解説

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原子力艦の検討と挫折

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 01:03 UTC 版)

タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦」の記事における「原子力艦の検討と挫折」の解説

もともとイージスシステムは、次期原子力ミサイル駆逐艦(DXGN)の後期建造艦搭載され予定であった1970年海軍作戦部長就任したズムウォルト大将はこれを修正し、より小さく簡素なガスタービン主機駆逐艦(DG/Aegis)に搭載することとしたが、1974年海軍作戦部長ホロウェイ大将交代すると、再び原子力艦への搭載へと修正された。 この頃には、DXGN計画から発展したバージニア級(DLGN-38級)が既に建造入っていたが、同級そのままイージスシステム搭載することは困難であった。このことから、イージス搭載適合化した原子力ミサイル駆逐艦としてDG(N)計画着手され1974年1月時点では満載10,708トンとなる予定であった。しかし同年7月ホロウェイ大将はこの計画消極的過ぎるとして中止させ、かわって原子力打撃巡洋艦(CSGN)計画推進した概念設計1975年5月完了し満載12,700トン強力な戦闘艦とされたが、当然のように高コストの艦でもあった。このことから、ズムウォルト大将検討させていたようなガスタービン主機ミサイル駆逐艦の案が復活することになり、CSGN 8隻と在来動力ミサイル駆逐艦DDG16隻によるハイ・ローミックスが予定された。この在来動力ミサイル駆逐艦スプルーアンス級派生型として予定されており、これが本級の源流となったDDG1977年計画から、CSGNは1978年計画からの建造予定されていたが、議会はこれらの計画差し止めかわりにロングビーチ」をCSGNのプロトタイプとして改装するよう予算振り替えた。しかし1977年1月17日フォード政権改修中止させ、続くカーター政権はCSGN計画の見直し指示したかわってバージニア級を発展させたCGN-42の設計着手されたものの、当初5隻が予定されていた建造数は、1978年3月には1983年度計画の1隻のみに削減され1981年2月にはその建造中止された。

※この「原子力艦の検討と挫折」の解説は、「タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦」の解説の一部です。
「原子力艦の検討と挫折」を含む「タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦」の記事については、「タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦」の概要を参照ください。

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