単独での独立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 05:18 UTC 版)
「ウスマーン・アリー・ハーン」の記事における「単独での独立」の解説
第二次世界大戦の終了に伴いイギリスは、1947年8月15日にインドから撤退することを決め、植民地支配からインドは独立を勝ち取った。 8月15日のインド・パキスタン分離独立までに、ウスマーン・アリー・ハーンはニザーム藩王国の帰属に際し、ジャンムー・カシュミール藩王国、ジュナーガド藩王国とともに最後まで態度を決めかねていた。イギリス統治下のインド最大の藩王国であったニザーム藩王国の帰属は世界が注目するところにあった。 このように、ニザーム藩王国はインドに加わったとすればムスリムの、逆にパキスタンに加わればヒンドゥー教徒の怒りを買う可能性があるという、非常に難しい立場にあった。一方、ジャンムー・カシュミール藩王国は支配者がヒンドゥー、住民の大部分がムスリムであったため、ニザーム藩王国とは逆の立場にあった。 ウスマーン・アリー・ハーンは当初はパキスタンへの帰属を望んだが、領土にはヒンドゥー教徒が多いうえに内陸の飛び地となるため、イギリスからはインドとパキスタンどちらにも属さない形で単独での独立を宣言した。藩王国が軍事保護条約で従属していたのは、形の上ではイギリスとであったため、イギリスが独立に際してこれらの条約を放棄したことにより、藩王国は単独で独立できるはずであった。
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