千草プロデューサーのその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 04:25 UTC 版)
「エンドレスナイト」の記事における「千草プロデューサーのその後」の解説
「シーチャカ」のあだ名で親しまれ、そのキャラクターが視聴者から絶大な支持を受けた千草宗一郎プロデューサー(1986〜1988年担当)は、2005年6月23日に開かれた関西テレビの株主総会、取締役会での決議事項を受けて、同社の代表取締役社長に就任した。 1986年9月、それまで番組を統括していた上沼真平プロデューサーが、土曜日の朝のワイドショー「シュートinサタデー」の立ち上げのため、一時的に番組から離れ、その穴埋めのために登場した千草だが、その独特な風貌が視聴者に衝撃を与え、たちまち番組の人気者となった。一方でカメラに映ると「イヤイヤ」と照れる様からその真面目さも伝わり、番組のファンを拡大した。しかし1988年春、当時の制作部内のシフトチェンジで番組を去るも、大晦日のスペシャル放送、そして番組の最終回などの節目には必ず登場し「エンドレスにシーチャカ千草あり」を印象づけた。 エンドレスナイト担当を外れた後、千草は「ノックは無用!」のプロデューサー、また「鶴瓶の1/10女子マラソン」をはじめ、スポーツバラエティー番組を制作し、その後古巣であるスポーツ局に異動。毎年1月に開催される「大阪国際女子マラソン」の陣頭指揮を執り、この他のスポーツ関連のイベントや特別番組を数多く手掛けた。 その後、2000年に事業局長、2001年に営業局長。2003年からは取締役となった。これまで関西テレビの社長は、大株主の産経新聞や阪急電鉄(現・阪急阪神ホールディングス)、フジテレビジョンの出身者が務めてきたが、関西テレビからの生え抜きでは千草が初めてとなった。 しかし2007年、千草は全国ネット放送だった「発掘!あるある大事典II」(2007年1月打ち切り)のデータ捏造問題の対応に追われ(同年1月、2月の2回「月刊カンテレ批評」に自ら出演し、視聴者に謝罪している)、この年の4月3日、遂に引責辞任した。その後、取締役を経て、相談役へ退いている。
※この「千草プロデューサーのその後」の解説は、「エンドレスナイト」の解説の一部です。
「千草プロデューサーのその後」を含む「エンドレスナイト」の記事については、「エンドレスナイト」の概要を参照ください。
- 千草プロデューサーのその後のページへのリンク