千苅水源池実力行使
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武庫川他流の井組が上流の水使用に対して厳しく強い態度をとる理由として、過去に神戸市の千苅ダムの問題があった。大正11年(1922年)に神戸市が上水道用水のために武庫川支流の羽束川(はつかがわ)に千苅ダムを建築した。当初神戸市は「下流の農業用水として灌漑期の4か月間は常時毎日96,000トンを放流する」と約束していたが、大正13年の大干ばつ時に放流されていなかった。更に昭和14年(1939年)7月も空梅雨であったが千苅ダムからの放流が無かったため下流の農民が放流を求めて決起した「千苅水源池実力行使」という事件が起こり、神戸市側が7月17日以降毎日12万トンを放流することで決着した。
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千苅水源池実力行使
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/02 23:55 UTC 版)
「丸山ダム (兵庫県)」の記事における「千苅水源池実力行使」の解説
大正11年(1922年)に神戸市が上水道用水のために武庫川支流の羽束川(はつかがわ)に千苅ダムを建築した。当初神戸市は「下流の農業用水として灌漑期の4か月間は常時毎日96,000トンを放流する」と約束していたが、大正13年の大干ばつ時に放流されていなかった。更に昭和14年(1939年)7月も空梅雨であったが千苅ダムからの放流が無かったため下流の農民が放流を求めて決起した「千苅水源池実力行使」という事件が起こり、神戸市側が7月17日以降毎日12万トンを放流することで決着した。
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