北野熊喜男
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/24 03:49 UTC 版)
人物情報 | |
---|---|
生誕 | 1907年2月13日![]() |
死没 | 1989年6月3日 (82歳没) |
出身校 | 神戸高等商業学校、京都帝国大学 |
学問 | |
研究分野 | 経済学 |
研究機関 | 神戸経済大学、和歌山高等商業学校、福島経済専門学校、神戸経済大学、神戸大学、大阪大学、神戸学院大学 |
学位 | 経済学博士 |
北野 熊喜男(きたの ゆきお、1907年2月13日 - 1989年6月3日[1])は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授。位階は従三位。
経歴
- 出生から修学期
1907年、大阪府大阪市北区堂島で生まれた。1918年(大正7年)に大阪市立天王寺商業高等学校を卒業し、神戸高等商業学校(現・神戸大学)に進んだ。1928年に同校を卒業[2]。続いて京都帝国大学経済学部に進み、1932年に卒業。
- 経済学研究者として
卒業後は、1933年から1935年まで京都帝国大学経済学部副手に採用された。同1933年より同志社高等商業学校講師を務め、1936年からは教授。1939年より和歌山高等商業学校講師、同年教授昇進。
戦後の1945年より福島経済専門学校教授を務めた。1947年に神戸経済大学教授となり、1949年からは大阪大学教授を兼任した(1954年まで)。1950年に神戸経済大学が新制大学への移行に伴い閉校となったため[3]、その後は神戸大学経済学部教授。1957年に学位論文『経済社会学の基本問題』を神戸大学に提出して経済学博士号を取得[4]。1968年からは経済学部長を務めた。1970年に神戸大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は神戸学院大学教授として教鞭をとり、1985年に退任。1978年春の叙勲で勲三等旭日中綬章を受章[5]。
学界では、1981年から1984年まで経済社会学会会長を務めた。また、日本学術会議会員に選出された[6][7]。1989年死去。死没日付をもって従三位に叙された[8]。
研究内容・業績
著作
著書
編著
- 『経済学教材』編、三和書房 1951
- 『近代経済学の展開』(経済学説全集 10) 編 河出書房 1956
訳書
- 『価値資本及地代』ウイクセル著、日本評論社 1937
- 『利子と物価 貨幣の交換価値決定原因に関する研究』ウイクセル著、服部新一共訳、日本評論社 1939
- 再版 日本経済評論社 1984
- 『競争・独占・計画経済』ミイド著、訳編、敞文館 1943
- 『計画経済と資本経済』ピグウ著、増進堂(計画経済論叢) 1944
- 『計画経済の均衡理論:計画経済論叢』エンリコ・バロオネ著、訳編 増進堂 1944
- 『経済学入門:分析と政策』J.E.ミイド著、木下和夫共訳 東洋経済新報社 1952
- 『社会主義対資本主義』A.C.ピグウ著、東洋経済新報社 1952
記念論文集
- 『経済と社会の基礎分析 北野熊喜男博士古稀記念論文集』向井利昌・百々和編集、古稀記念論文集刊行会 1979
脚注
- ^ 『人物物故大年表』
- ^ 北野熊喜男『出身県別 現代人物事典 西日本版』p871サン・データ・システム 1980年
- ^ 1949年5月に国立学校設置法公布されたことに伴い、神戸経済大学は神戸大学に吸収合併。
- ^ CiNii(学位論文)
- ^ 昭和53年 1978年5月2日付 官報 号外 第34号 4頁
- ^ 「北野熊喜男博士略歴・著作目録 (北野熊喜男博士記念号)」『国民経済雑誌』第122巻第5号、神戸大学経済経営学会、1970年11月、112-115頁、doi:10.24546/00171366、hdl:20.500.14094/00171366、 ISSN 03873129、 CRID 1390009224925990656。
- ^ 「歴代会長・顧問・名誉会員」経済社会学会
- ^ 平成元年 1989年7月5日付 官報 本紙 第134号 12頁
|
|
|
|
|
|
- 北野熊喜男のページへのリンク