北条線列車脱線転覆事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 22:45 UTC 版)
「日本の鉄道事故 (1949年以前)」の記事における「北条線列車脱線転覆事故」の解説
1945年(昭和20年)3月31日 北条線(現・北条鉄道)網引駅 - 法華口駅間(田原駅は未開業)で、鶉野飛行場を離陸した日本海軍の戦闘機「紫電改」がエンジンストールのため水田に不時着したものの乗員は死亡した。この不時着の際に、紫電改の尾輪が線路を引っかけて軌道を破壊してしまった。この直後に来た上り旅客列車(C12 189号機牽引)が破損した軌道に進入して脱線転覆した。「紫電改」搭乗員と、乗客のうち11人が死亡し104人が負傷。航空事故が鉄道事故を誘発した珍しい事例である。 目撃者によると、駆けつけた兵隊たちは乗客を助けるよりも先に戦闘機に田んぼのワラを被せて隠蔽を図ったという。軍の機密として戦闘機不時着は公表されず、地元紙の神戸新聞ですら、脱線転覆事故が発生したということと、死傷者数、死者氏名を掲載したのみだった。 2011年になって、事故機関車の動輪が交通科学博物館で保存展示されていることが判明した。
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