北条時政黒幕説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 04:54 UTC 版)
歴史学者の三浦周行が大正期に北条時政黒幕説を唱え、それ以来学界に大きな影響を与えてきた。『吾妻鏡』や『曽我物語』では工藤祐経を討った後に時致は源頼朝をも襲っており、これが時政の暗躍によるものとする解釈である。時政は事前に駿河国に入国し準備を行っており、頼朝が富士野に到着した際もあらかじめ参上しており、この説に説得力をもたらした。 またそれ以前より時政と兄弟は縁があり、兄の祐成が弟である筥王(曾我時致)を連れ時政の屋形を訪れ、時政を烏帽子親として元服している。従来より面識のあった時政が兄弟を頼朝襲撃へと誘導したとする見方が現在でも多い。 一方で、頼朝と時政は頼家の擁立で利害が一致しており、時政に頼朝を襲うほどの動機はないし、事件後も頼朝と時政の間に懸隔は見られない。頼家の晴れの舞台で時政が殺人を仕組むとは考え難く、また祐成を討ったのは時政の側近の仁田忠常であり、祐成は時政を狙った可能性が高く、兄弟は時政の統制を逸脱した行動をとっているとして、時政黒幕説を疑問視する見方もある。
※この「北条時政黒幕説」の解説は、「曾我兄弟の仇討ち」の解説の一部です。
「北条時政黒幕説」を含む「曾我兄弟の仇討ち」の記事については、「曾我兄弟の仇討ち」の概要を参照ください。
北条時政黒幕説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 02:15 UTC 版)
歴史学者の三浦周行が大正期に北条時政黒幕説を唱え、それ以来学界に大きな影響を与えてきた。『吾妻鏡』や『曽我物語』では時致が工藤祐経を討った後に源頼朝をも襲っており、これが北条時政の暗躍によるものとする解釈である。時政は事前に駿河国に入国し準備を行っており、頼朝が富士野に到着した際もあらかじめ参上しており、この説に説得力をもたらした。またそれ以前より時政と兄弟は縁があり、兄の祐成が弟である筥王(曾我時致)を連れ時政の屋形を訪れ、時政を烏帽子親として元服している。従来より面識のあった時政が兄弟を頼朝襲撃へと誘導したとする見方が現在でも多い。 一方で、頼朝と時政は頼家の擁立で利害が一致しており、時政に頼朝を襲うほどの動機はないし、事件後も頼朝と時政の間に懸隔は見られない。頼家の晴れの舞台で時政が殺人を仕組むとは考え難く、また祐成を討ったのは時政の側近の仁田忠常であり、祐成は時政を狙った可能性が高く、兄弟は時政の統制を逸脱した行動をとっているとして、時政黒幕説を疑問視する見方もある。 また、伊東祐親は工藤祐経に襲撃される直前に自分の外孫にあたる頼朝の長男・千鶴丸(千鶴御前)を殺害しており、工藤祐経による伊東祐親父子襲撃そのものに息子を殺された頼朝による報復の要素があり、曾我兄弟も工藤祐経による伊東父子襲撃の背後に頼朝がいたことを知っていたとする説もある。
※この「北条時政黒幕説」の解説は、「曾我時致」の解説の一部です。
「北条時政黒幕説」を含む「曾我時致」の記事については、「曾我時致」の概要を参照ください。
- 北条時政黒幕説のページへのリンク