北条得宗領太良保と東寺領太良荘の復権
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正安3年(1301年)、本家である歓喜寿院より東寺が派遣した公文が所定の年貢を納めていないと抗議、荘務権の返上を要求して以後20年以上にわたる相論となる。 正安4年(1302年)に地頭の失脚により北条得宗家の支配となり、独自の検地が行われ、得宗領太良保と東寺領太良荘の間で所領をめぐる争いが30年間続いた。 元弘3年/正慶2年(1333年)に鎌倉幕府が滅亡し、後醍醐天皇は得宗領太良保を東寺に寄進し、東寺は太良荘のほぼ全てを支配した。 建武元年(1334年)には59名の荘民が、新たな地頭代官の非法な暴政に対し罷免を求める起請文に連署し、最初の一揆を起こしている。 文和元年(1351年)、歓喜寿院を領していた仁和寺の法守法親王が東寺の財源不足を理由に本家分の得分を一時的という条件で東寺に与える。 文和3年(1353年)、法守法親王が先の約束を撤回し、東寺に本家役自体を寄進することを申し出る。太良荘の収入を失った歓喜寿院は没落し、室町時代には浄土宗の僧侶に引き取られて同宗寺院となった。
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