北支自治運動―華北分離工作とは? わかりやすく解説

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北支自治運動―華北分離工作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:05 UTC 版)

日中戦争」の記事における「北支自治運動―華北分離工作」の解説

支那駐屯軍関東軍など日本現地軍は、1935年昭和10年5月2日深夜天津日本租界事件契機に、河北省察哈爾省から国民党排除図り6月所謂梅津・何応欽協定締結し藍衣社北支からの撤退河北省主席于学忠罷免などを実現させた。国民政府は、「邦交敦睦令」を発し排日行為禁止したその後現地日本軍は、二十九軍が日本人拘禁し張北事件中国語版)などを理由に、土肥原・秦徳純協定締結し察哈爾省東北部二十九軍を河北省移駐させることを了承させた。そして、旧軍閥で二十軍長宋哲元中心に北支五省独立政権樹立させ、国民政府から分離させるため「北支自治運動」を展開した11月25日非武装地帯殷汝耕委員長とする冀東防共自治委員会設立させ、宋哲元中心にして「北支自治政権」を設立させて殷汝耕合流させる計画立てた。しかし、国民政府は、宋哲元を冀察綏靖主任河北省主席任命し12月18日冀察政務委員会設置し自治独立運動の阻止に一応成功したこのため12月25日日本現地軍は、冀東の冀察への合流放棄して冀東防共自治政府成立させた。

※この「北支自治運動―華北分離工作」の解説は、「日中戦争」の解説の一部です。
「北支自治運動―華北分離工作」を含む「日中戦争」の記事については、「日中戦争」の概要を参照ください。

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