募兵の増強とブエナビスタの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 14:37 UTC 版)
「聖パトリック大隊」の記事における「募兵の増強とブエナビスタの戦い」の解説
モンテレーでの交戦の後、サン・パトリシオスの数は増え、ある見積もりではおよそ800名の兵士に達していた。以前の戦闘でのアメリカ軍の指揮は、カトリックの教会に避難していた人々に対して発砲するなどしたため、アメリカ軍からのより多くの逃亡を引き起こしていた。サンタ・アナもカトリック教徒のアメリカ軍部隊に対し、宗教を尊重しない軍と国からの逃亡を奨励する通告を発した。すべての新規兵が逃亡者ではなく、メキシコに住んでいたヨーロッパ人のカトリック教徒もいた。軍隊はサン・ルイス・ポトシの戦いで再び集結し、彼らは竪琴を刺繍を施した独自の緑の絹の旗をそこではためかせた。メキシコシティから派遣されたサンタ・アナに指揮下のより大きい軍に合流するため、彼らは北方に進軍した。2月23日にヌエボ・レオンで起こったブエナ・ビスタの戦いでは、パトリシオスはアメリカ軍と交戦するようになった。彼らはメキシコ軍所有の最も大きい三つの大砲を割り当てられ、戦場をすべて見渡せる高台に配置された。メキシコの大砲を捕獲しようと不首尾に終わったアメリカ軍の企てで、彼らは多くの死傷者を出した。サン・パトリシオスは反撃し、アメリカ軍の二つの大砲を捕獲した。この戦いで数名のアイルランド人兵士が勇猛さを称えメキシコ政府から名誉の十字架を贈呈され、他の多くの兵が昇進を受けた。
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