助教授昇進、死去
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1978年9月1日、東京工業大学一般教養統計学担当助教授に就任。しかし1979年から体調を崩し、10月27日、享年32歳で死去。学会(国際会議、カンファレンス)でルーカスが中村の死を報告した際、会場はどよめいたという。 その後、鈴木光男は中村の遺稿集を編纂し、1981年に『中村健二郎遺稿集 ゲーム理論と社会選択』と題して出版。この遺稿集の書評論文(渡部 1982)を執筆した慶應義塾大学の渡部隆一は、短い人生における業績の数々に驚いている。 なお、中村の墓は青山墓地に設けられた。また、遺族は大学に3千万円を寄付し、1989年に手島精一記念研究賞の一つとして「中村健二郎賞」が設立される。同賞では35歳以下の若手研究者を顕彰している。
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