助教授・教授として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/04 01:22 UTC 版)
放射化学の分野でもホットアトム化学と呼ばれる領域では国際的にも有名になった。1973年(昭和48年)9月には西ドイツ(当時)のカールスルーエ原子核研究センター(Kernforschungszentrum Karlsruhe、カールスルーエ大学の前身)に客員教授として滞在し、新錯体の合成に成功した。1982年(昭和57年)2月には東北大学理学部化学科教授に就任、以後定年退官まで放射化学の新分野の開拓に従事し、平成5年(1993年)には仙台で「テクネチウムの挙動と利用に関する国際シンポジウム (Topical Symposium on the Behavior and Utilization of Technetium) 」(現在の International Symposium on Technetium and Rhenium, IST)を主催した。第6回IST(南アフリカ2008)では吉原の同シンポジウム創設とテクネチウム科学への貢献を讃えて表彰。ドイツのシュプリンガー書店から "Technetium and Rhenium" 他2点の著書を出版。その他多数の放射化学の共著論文及び著書を出版した。
※この「助教授・教授として」の解説は、「吉原賢二」の解説の一部です。
「助教授・教授として」を含む「吉原賢二」の記事については、「吉原賢二」の概要を参照ください。
- 助教授・教授としてのページへのリンク