加藤文麗とは? わかりやすく解説

加藤文麗

読み方かとう ぶんれい

江戸後期画家藩士伊予大洲藩主加藤泰恒の子、泰茂の養子。名は泰都、通称を織之助、別号に予斎。幕府御小姓組番頭となり従五位下伊予守に任ぜられる。画を狩野周信学び谷文晁最初の師として名高い山水花鳥画能くした。天明2年(1782)歿、77才。

加藤文麗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 01:10 UTC 版)

加藤 文麗(かとう ぶんれい、宝永3年(1706年) - 天明2年3月5日1782年4月17日))は、江戸時代中期の江戸幕府旗本、また絵師である。谷文晁の師として知られる。武士としての名は加藤泰都


  1. ^ 花園大学歴史博物館二〇一六年度春季企画展 湯島麟祥院 春日局と峨山慈棹』 花園大学歴史博物館編集・発行、p.103。
  2. ^ 公益財団法人 泉屋博古館編集・発行 『泉屋博古 日本絵画』 2010年11月1日、pp.88,195。


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